第四章

16
バブルの夜明け
2007/11/2(金) 午後 0:56




バブル景気というのは1985年のプラザ合意以降、急激な円高によって日本の資産価値が倍増したところから始まり、その開始年度は諸説がありますが、経済白書記載の年代は1986年12月からとのことです。

ただ、私達がこれは好景気だな!と実感したのはもっと後になると思います。

うちのお店でそれを感じた特徴的出来事がありました。
それはオーディマ・ピケの時計をお預かりしたことです。オーディマピケというブランドは、パテック、ピアジェと並ぶ三大宝飾時計のひとつで(3Pとも言います)現在は無骨なロイヤルオークシリーズがが人気ですが、もともとは18金の材質に、本体にもブレスにも可能な限りダイヤモンドを埋め込んだ、時計と言うより宝飾品と言ったほうがいいようなドレスウォッチが有名でした。

 あの頃は時計図鑑で見ると、「何これ!!」って驚き、呆れていた類の時計だったのです。
ただ、それは下町の私の店だけで、伊勢佐木町や横浜駅西口などの繁華街・歓楽街にある質屋さんでは、その筋の方や、夜にお勤めのお姉さんたちからお預かりしていたことはあったようです。

 私も、店に入って一年、古物市場に通いだしていましたので、そうした歓楽街の質屋さんが市場に出品する時計は手にとって見ることがありました。それが、下町・弘明寺にも来たのです。しかも伊勢佐木町のように、暴力団風な方でも、香水の臭いで息が出来なくなるような人でもありません。れっきとした不動産業の紳士でした。
 凄いこものです。18金ホワイトゴールドの本体に文字盤はダイヤで埋め尽くされ、ベゼルもダイヤで囲まれて、二本の針にまでダイヤが並べられているのですから、まさしく
キタ━━━━ヽ('∀')ノ━━━━!!!! といった感じでした。
 お取り扱いしたのは初めてでしたが、知識だけはあります。この種のダイヤだらけの時計は、メーカーで初めから埋め込んだものと、販売会社やその他の業者が後から埋め込んだ両方を考えなければいけません。
 鑑定は簡単、光に照らせば、オリジナルの埋込ダイヤは全てが同じ角度で光を反射しますが、
後から埋め込んだダイヤは、全てが同じ方向を向いていないために反射する石も角度によってまちまちです。この時計は本体はオリジナルですが、ブレスは後付であることが判明しました。そのことを、緊張しながらもお客さんにご理解してもらおうと、言おうとしたら、箱の隅に、改造した作業明細書まで入っていました。非常に正直で嬉しいのですが、こうなると相場表通りの値段を付けるわけにはいきません。たとえ、改造するのに100万円かかったとしても、改造する前の値段より安くなるのです。
このへん詳しくは書けませんが、まあ、そんな状況だったんです。
その他、バブルを感じたお取り扱い商品は、

・男物の金のネックレス
・アルマーニのスーツ
・セーブルの毛皮
・辻が花の和服
・ラザールキャプランのダイヤモンド
・VCA、ショーメなど、ブランドジュエリー
・絵画
・マイセン
・そしてブランドバッグと続くのですが、
このへんは、次回、もう少し詳しく書かせていただきます。





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バブルが街にやってきた
2007/11/3(土) 午前 10:59




 バブル景気については、Wikipediaで調べていただければお分かりのことと思いますが、そんな見せかけの、狂乱景気の中、質屋でお取り扱いした特徴的なものについて書いてみます。

【男性用喜平ネックレス】
 それまでの時代でも、男性が金のネックレスをすることは無かったわけでもないのです。 お祭りなどでは、筋骨隆々の男衆が素肌に金のネックレスをジャラジャラと見せびらかしていたものです。それと大工さん、左官屋さん、植木屋さん等々、気っ風がいい、威勢がいいことを自慢できる職業の方々には珍しくありませんでした。それからもちろんヤクザさんにも。
 ところが、この時代、ごく普通のサラリーマンや公務員、バイト学生まで18金のネックレスを付け出し、喜平、ダブル喜平、六面カット、八面カットなどバリエーションも増えて行きました。この商材は質屋にはありがたいことで、パチンコや競馬で燃えてしまった時などに、首のネックレスを外して、「これで10万頼むわ」と簡単にお貸しできました。
 ただし、儲かったか?というと、バブルっていうのは急激な円高を伴い、18金の市場価格が毎日のように下がったのです。1g、1000円から 900円、850円とんどん下がり、流れた品物を売る時には質預かりで融資した値段を大きく下回っていたことなどしょっちゅうでした。


【高級時計】
 これも、暴力団風の方々や、夜の飲食店のママさん達からは、以前からお持ちいただいていたものでした。ところが、この時代はごく普通のサラリーマンやOLさん、大工さんに自営業者までロレックスをお持ちになるようになってきました。
 ロレックスでも、ステンレスモデルから、ステンレスと18金のコンビモデル、全て18金の無垢モデル、文字盤に10個のダイヤを配したモデル、ベゼルに一周ダイヤを並べたモデル、文字盤全部にダイヤを埋め込んだ・・・、とにかく豪華さをエスカレートしてゆきます。しかも高級時計はロレックスだけではなくて、ショパール、ピアジェ、パテック、オーディマ・ピケ と続き、どうなるのかと思ったほどです。


【毛皮】
  毛皮の衰退についてはまた別の日に書くことにして、当時、ごく普通のブラックミンクで、銀座のエンバで80万円ぐらいしたと思います。これが逆毛になったり色々な技法で120万ぐらいまでバリエーションがありましたが、これにシルバーフォックス、プラチナフォックス、など豪華さを競い、ロシアンセーブルのロングコートでしたら500万以下では買えなかったと思います。
 当時、バブル時代の話ですが、こんなの着たら、どう見ても愛人にしか見えないと思うのですが、ごく普通の主婦の方が質屋に、お持ちになります。保管だって大変です。毛皮の最適な保管方法も勉強しました。

 すみません、今日はこれだけにして、明日続きを書きますが、バブルの時代は、それまで暴力団風の人達や、高級クラブのママさん、大社長の愛人みたいな人しか身に着けていなかったものを、一般の人が身に着けるように成った時代です。今考えてみても、あまり、好ましい時代ではなかったですね。

 私事ですが、バブルの真っ最中は初めての子供が産まれて、私達夫婦にとっては子育てに
 追われた時代でした。給料は安かったので豊かではありませんでしたけど、あかちゃんの
 笑顔を見るだけで幸せな気持ちがして、他には何もいりませんでした。
  毎週土曜日だけは、遅くまでテレビを見ていい日に決めて、(それ以外は子供に合わせ
 て 早寝早起き)「ネルトン」や「映画みたいな恋」とかを見ながら、
 『ふ〜ん、世間は景気いいんだね。』って思っていましたが、羨ましいと思ったことは
 一度もありません。






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クリスマスイブ
2007/11/5(月) 午前 9:59



 今年のクリスマス、12月24日は、前日23日の天皇誕生日が日曜と重なるために振替休日となり、土曜日と合わせると三連休になります。平成に入ってから12月23日が天皇誕生日として祝日になり、その日を利用してパーティーをやろうという人達も増えましたが、それまではクリスマスは 年末で仕事が大忙しの最中に行われていたわけです。
私も現在の奥さんと恋人同士だった頃、クリスマスに逢いたいと思いながらも、逢えるわけない状況でした。ところが、バブル真っ盛りの1988年、12月24日は土曜日、翌日が休みだったのです。
 この日、銀座ティファニーでオープンハートのペンダント付きネックレスを買って、浦安ディズニーランド周辺のホテルで聖夜を過ごすカップルが多かったそうです。作家の林真理子さんが、週刊誌のエッセーにカップルがホテルで何をしてるのか?と揶揄していました。
 多かった、と言っても浦安周辺ホテルには部屋数の制限があるでしょうし、みんながみんな行けるわけではあるまいに、やはり都市伝説の一つなのでしょうか。

 ただ、とにかくティファニーのアクセサリーであり、浦安のヒルトンやシェラトンなど一流ホテルなのです。ジュワイオクチュール・マ●のアクセに、熱海後●園ホテルではいけないのです。僕はそっちの方がいいと思いますが、(温泉もあるし)バブル絶頂期のカップルにはだめだったのです。

 ブランド、という言葉はその頃から使われだしたと思います。

バブルと呼ばれる好景気で、いいものを見る目は肥えてきました。品物は溢れ、それを買うお金があるとなると、よりいいものを欲しがってきたのだと思います。
 上の写真はゆがんでしまったので、昨日の写真を見てもらうと分かるのですが、ボディコン・ワンレンの左側の女の子が腕に抱えているのは、ルイヴィトンのコンピニエーニュというクラッチバッグですね、ルイヴィトンの中では比較的安いものですが、主に男性がお持ちになる場合が多かったと思います。それから旅行などの時に化粧品を入れて旅行鞄の中に入れて使う、化粧ポーチを普通の抱えバッグとしてお出かけにお持ちになる女性もいらっしゃいました。

たしかに、シャネルやルイヴィトン、エルメスなどは一流品ということで知ってはいたのですが、その値段のあまりの高さに、初めは恐る恐る、比較的安価な小物から手を出していったことがうかがえます。もちろん、この傾向もすぐに解消され、ブランドバッグ、時計、アクセサリー等、どんどん高い品物に触手を伸ばしてゆき、ブランド好きの日本人と呼ばれるようになるのですが・・・。

 さて、クリスマスを恋人同士でリッチに過ごす習慣は定着し、山下達郎のクリスマスイブに乗って、民営化されたばかりのJR東海のCM「クリスマスエクスプレス」が放映されたのが1988年。有名な牧瀬里穂バージョンは1989年です。
「クリスマスは、世界で一番好きな人と二人っきりで過ごす日。」というのは、
1990年の仙道敦子・吉田栄作主演のドラマ「クリスマスイブ」で清水美砂さんが言ったセリフでした。
 この頃から12月25日を過ぎると、もらった品物を質屋に売りに来る女の子が増えました。もう、ティファニーのアクセサリーなんかたくさん買い取り、あまりに同じ物がたくさんくるので、ニセモノではないかと疑ったほどです。中には箱も開けていないもの、包み紙さえも開けていないものもあって、中からラブレターが出てきた事もありました。

 ブランドの時代、まだまだ黎明期でしたが、その裏ではバブル崩壊の足音が確実に聞こえてきていたのです。







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バブルへGO !!
2007/11/6(火) 午前 11:56



質屋の目で見た世相を、昭和30年代から書いてきました。
バブルの時代を三回にわたって書いたところで正直飽きてきましたので、今年の春に公開された映画「バブルへGO!」のDVDを借りて見ましたので、それの感想から始めます。

もうDVDになってるんですよ。そしてレンタルもされてます。(準新作なので二拍三日でしたが、)

バブル崩壊の原因となった大蔵省による不動産融資の総量規制発表を止めるために、財務省官僚の
下川路(阿部寛)の命令で、田中真弓(広末涼子)が、母(薬師丸ひろ子)の作ったドラム式洗濯機形
タイムマシンでバブルの時代へ行くと言うお話です。

原作は「私をスキーに連れてって」「彼女が水着に着替えたら」「波の数だけ炊きしめて」を作った
ホイチョイプロダクション。この三部作は、私らポパイ世代にとってホイチョイの著書「見栄講座」
とともにバイブル的存在です。だからこの映画も面白くないわけ無いです。

劇が始まって一番はじめに出てくる場面に広末扮する田中真弓の母親の葬儀から始まるのですが、
その名前が「田中真理子」。わかる人はわかりますが、「波の数だけ抱きしめて」に出てきた
中山美穂演じる主人公の名前と同じです。だから、あの続編かと思うと全然違いました。

もちろん、バブル華やかりし頃の風俗や流行、現象などをふんだんに取り入れて、
それを現代娘、広末のセリフでギャップを楽しませてくれます。
かつて全フロアーがディスコだった六本木のスクエアービル(懐かしい、)に連れて行かれた真弓が、
「なんだクラブか。」というと、
「え、何言ってるの『ディスコ』だよ、クラブはお姉ちゃんがいるところ。」
と阿部寛に言われるなど、
私なんか、今でも、阿部寛と同じ言葉を言いそうで、スクエアービルがキャバクラのビルに変わったことすら知りません。(前半で、現代に広末が勤めているキャバクラが入っていた)

当時、無名で今は有名になっている芸能人達も実名で出ていて、
飯島愛や飯島直子、ラモスに逢ったときは、
「ドーハの予選ではロスタイムのコーナーキックに気を付けて。」
と忠告して、ティファニーのオープンハートペンダント付きネックレスをもらう。
(これ、僕もバブルの象徴として11月23日のブログに掲載)

コメディーだから面白いのは当たり前だけど、広末がとにかくキュート。
薬師丸ひろ子が現代とバブル時代と両方出てきて、顔アップの映像もあるのだけど、
17年前20代の女性と言われても誰も疑問を持たないような美しさで、あれって特殊メイク?

「バックツーザフューチャー」と比較するのは愚問ですが、
これはこれで十分楽しめるし、同じ日本のことでもあり、バブルを経験した世代には懐かしくもある
親しみの湧く映画でした。





「バブルへGO!!」公式サイト→→→→→http://www.go-bubble.com/index.html


 



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バブル崩壊
2007/11/6(火) 午前 11:56



 映画「バブルでGO!」では、バブル崩壊の原因を、1990年3月に通達された大蔵省銀行局による土地関連融資の総量規制としていますが、それ以前から、バブル崩壊の足音は聞こえてきていました。

 一般的な歴史のお話はほかで聞くとして、質屋がバブルだと感じたのは、11月21日に書いたとおり、それまで一部の高額所得者しか買わないような品物を、ごく普通の人がお持ちになったとき。それまで一部の暴力団風の方や夜の飲食接待業の方しか買わないような品物を、ごく普通の人がお持ちになった時でした。
 以前書いたように、ロレックスはステンレスモデルから、コンビモデル、18金の無垢モデル、
ホワイトゴールドモデル、1時間填めてると腕が萎えそうなプラチナモデルまで珍しくないようになり、その他、ピアジェ、パテック、オーディマピケ、ショパール、バセロン、VCAと、本来ならネクタイをしなければ触っちゃあいけない法律があるかもしれない高級時計達が、この下町の質屋に持ち込まれて来たときにやはり世間は景気がいいんだな〜、と感じました。

 ただ実際は、みんながみんな高額所得者だったわけでは無いのは、今回の特集に寄せられるコメントをご覧になれば分かるとおりです。殆どの人が「私には縁遠い世界だった」とおっしゃっております。
バブルの始まる前から「マルキン・マルビ」という言葉が流行しました。土地を持ってる人はマルキン、持っていない人はマルビ。株を持ってる人はマルキン、持っていない人はマルビ。今で言う「勝ち組・負け組」みたいなもので格差社会の入り口だったわけですね。だから、高額な品物が出回るのと同時に、安価な品物も出回るようになってきました。

 例えばナショナルのラジカセは6万円以上もしたし、掃除機さえも5万円以上した反面、サンヨーやシャープは安い価格を維持し、ソニーは自社ブランドでは高額商品を売り、安価なものはアイワ・ブランドで売り、NIESと言われる新興工業国の品物もよく売れてきました。時計もセイコーは高額品、安価なものはアルバ、シチズンもベガというブランドを使って、高額品と安価なものを売っていました。

 で、下町質屋には両方入ってきます。高いものも安いものも!!こちらでは選べませんから、ただ、だんだんと安価な品物の方が多くなってきた時に、
「あっこれは、景気が後退してきたな。」
 と感じた瞬間でした。
 まあ、電気製品や時計は安価だからと言って質が落ちることはありません。そのへん、日本の工業力のはたいしたものです。

 ただ、バブル景気の最中からバブル崩壊に至り、極端に質が悪くなってきたものがあったのです。

                          それは・・・・




第四章おわり、