弘明寺は神奈川県横浜市の山下公園や横浜スタジアムなどがある中心部・関内から鎌倉へのびる鎌倉街道沿いにあります。横浜駅からは京浜急行で10分、市営地下鉄で15分ほどの距離です。市内最古のお寺、弘明寺の門前町として古くから栄えてきたために逆に新しい開発に遅れ、下町としての風情を残す人情あふれる町として、しばしばテレビのドラマやCMの舞台に使われることもあります。
テレビ:花王愛の劇場「夢家族2」、「ラブ・レボリューション」他
C M:フジカラー「お正月を写そう2001年編」、信用金庫協会(佐藤藍子主演)他




弘明寺の商店街
平成16年1月をもって、下記の地図上で、商店街中央のそば店「中村屋」、同じく洋品店「たからや」
弘明寺門前の質屋「岡安商事」が閉店となります。また前年12月いっぱいでタロー薬局が一般薬・日
用品部門を閉店し、間口半分以下の調剤薬局に改装しました。
弘明寺プール(屋上)
横浜市立南図書館
駐輪場
マクドナルド●
焼き鳥 鳥平● ●大林堂書店
●十勝あずき大判焼き
●ピザハウスマミー
クリーニングプラザ● ●杉野生花店
パール美容室● ●とんかつ喜多八
スタンドBARコッコ● ●イズモ写真館
弘明寺 ●弘明寺薬局  ●ミマツ理容室 ●オリジン弁当
●エステート観音
(質屋)岡安商事【閉店】● ●原整形外科(医院) ●アトラス ●かんのん不動産
(パチンコ)スパシオ●

●ウッディーハウス(ブティック)
(パチンコ)ベガスクラブ● ●町っ子(ラーメン)
(スーパー)エコー● ●ヴェール(花)
(金物)さいたま屋● ●カットファクトリー(理髪)
(中華)天華● ●ドトールコーヒー(喫茶)
(時計)ヨシオカ● ●ヌマヤ(服地)
(スーパー)エコー● ●どん吉(讃岐うどん)
●サンエトワール(パン) (そば)
大むら
●濱うさぎ(和菓子)
至る、弘岡橋、鶴巻橋 →
(酒)かどみせ酒店● ●天野履物店(履き物)
柳家
(衣料品)
(薬)マツモトキヨシ● ●食いしん坊万歳(惣菜)
(レストラン)たんぽぽ● ●鈴木かまぼこ(蒲鉾)
(薬)池田優生堂薬局● ●江戸屋(和菓子)
週貸し店舗● ●マコト(洋食レストラン))
●河村雑貨店
(果物)スズキフルーツ● ●ペイヅ(ブティック)
●ちよだ鮨(寿司)
(カメラ)いずみカメラ● ●中村屋(そば)【閉店】
(電気)アークランドスター● ●マリオ(靴)
(メガネ)千葉メガネ● ●キャロット(野菜)
●青柳食料品店(惣菜)
(生活雑貨)タカラヤ● ●ユニオン(婦人服)
(寿司)神田一番寿司● ●タロー薬局(薬・スーパー)
(お茶・コーヒー)浜屋● ●フレンド(バッグ)
(酒)川松屋酒店● ●ふるはし(おもちゃ)
(洋品)白馬堂洋品店● ●とんぼや靴店(靴)
●いまい(着物)
(化粧品)白馬堂化粧品店● ●白馬堂カバン店(かばん)
●たからや(紳士服)【閉店】
(紳士服)望月洋服店● ●ジェルメ(婦人服)
(鮮魚)大信水産● ●ロンドン(靴)
(靴)地球堂靴店● ●ハセガワ(傘・バッグ) (パチンコ)
三昌球殿
●モスバーガー
(メガネ)オザワメガネ● ●ゆいまーる堂(沖縄食材)
大岡川プロムナー
大岡川プロムナード
(洋品)アルプス堂● ●パレットプラザ(DPE) 内山歯科●
(朝鮮食材)ふる里食品● ●サンドライ(クリーニング)
100円ショップ ダイソー● ●広田陶器店(せともの) 岩田質店●
●明治堂カメラ店(写真)
(人形)さのや● ●たかやま(めん手染)
●平沼園茶店(お茶)
(洋菓子・喫茶)ふくや● ●広州亭(中華) 水口園
(鮮魚)
作清
オザワ(ジュエリー)
(弁当)あしな● ●ニューカトー(肉)
空き店舗 ●おかず屋・築地亭(惣菜) スーパーユニー ●鈴木燃料店
(和菓子)金平堂● ●ほまれや洋品店(婦人服)
●横濱ハット(帽子)
(京染)浜田屋● ●キムラ食品店(食材)
(コロッケ)サボテン● ●不二家洋菓子店(ケーキ)
(スナック)三国屋へれん●
(居酒屋)居酒屋 凧● ●ほそい(履物)
(化粧品)トーハマ化粧品店● ●マリ・クレール(婦人服)
●モーリ(スナック)
(たい焼き)一口茶屋【閉店】● ●ブルボン書店(古本)
(パチンコ)メイジワールド● ●メルカフェ(喫茶)
(薬)だるま薬局●
(DPE)55DPEステーション● ●鳥忠(とり肉)
(酒)ほまれや酒舗● ●藤方豆腐店
(時計)近藤時計店● ●喜多の蔵(ラーメン)
(寿司)関すし● ●弘明堂書店(本)
(花)カサハラ●
   

南警察署
     
横浜国大付属中学校
    ●
弘明寺交番

弘明寺
 今から1280年前(721年)、天竺(インド)の三蔵法師が渡来し、当地の霊感を感得して結界したことが起源と伝えられる古刹・弘明寺。平安時代に作られた横浜市内最古のお寺であり、坂東33ヶ所観音の第14番札所として古くから信仰を集めています。

正式には瑞応山蓮華院弘明寺と言って、高野山真言宗の市内第一の古刹です。
 寺の縁起には養老5年(721年)、唐の玄奘(孫悟空でお馴染みの三蔵法師)がこの地に霊域を感じ、7個の石を据え、修行のための区域と定めたことが始まりと言われております。その後天平9年(737年)、河内泉国の僧行基が当時流行していた悪病の天下太平祈願のために本尊十一面観音像を一刀三礼に彫り、大同4年(809年)真言宗の開祖・空海(弘法大師)が廻国の際、弘明寺山にて「歓喜天」を彫って山頂の奥の院に安置し、伽藍を建立して開基したされています。 この話の真偽は実証するものが失われていますが、境内より天平の古瓦(布目瓦)が出土し、この寺の再興が寛徳元年(1045年)と寺伝のあるので、それ以前に創建されたものと思われます。鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』に「武蔵の国長尾寺ならびに求明寺を源家累代の祈願寺と定め云々」とあるとおり、頼朝は治承5年(1182年)鎌倉の鬼門にあたる方角にある寺としてここを幕府の祈願所とし、弘明寺は鎌倉幕府の保護を受け、栄えたことが分かります。当時は求明寺と言われていましたが、後に観音偈文の「弘誓深如海」という節から一字取り、弘明寺となりました。 この後も弘明寺は関東武士のあいだに信仰を集め、後北条氏の庇護、また徳川幕府からは観音堂領として朱印五石を受けたとあります。(歴史編参照)。
 江戸期には板東観音霊場として庶民の人気を集め、明治・大正・昭和初期には住職渡辺寛玉が横浜の郊外の観光地としての立地条件をたくみにいかし、弘明寺保勝会設け宣伝につとめました。本尊が国宝の指定を受けたのもその一例と思われます。また湘南電鉄(京浜急行)が市内を縦断する
際、寺域の一部を提供し、今日の繁栄の基礎を築きました。

 

   乗蓮寺
 弘明寺の隣に井土ヶ谷という地名があります。これは源氏の祈願所である弘明寺に源頼朝一行が詣でたおりに、北条政子の化粧に使ういい井戸が弘明寺には無く、少し離れた現在の井土ヶ谷上町の乗蓮寺境内の井戸を使ったことから、この地を井土ヶ谷と呼ばれたとされています。乗蓮寺にはこの尼将軍化粧の井戸の他、政子自身が彫ったという尼将軍坐像が安置されています。
  若宮神社

源頼朝が鎌倉に幕府を開くに当たり、武蔵国久良岐郡(今の横浜市の南部地域)の今の地が、鎌倉の鬼門にあたるため、厄除けの為、数箇所に社寺を創建しましたが、その一つとして若宮八幡宮は建久4年(1193年)9月7日鶴岡八幡宮の境内社である若宮八幡宮の別院として創建されたと伝えられています。建立以来今日に至るまで久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭として、また、氏子の魂の尊厳を自覚する聖域として護持されてきました。
 若宮神社には、鎌倉街道沿い、横浜銀行弘明寺支店の向かいの道を入っていくと山裾の急階段を登った先にあります。



弘明寺の歴史
 この地域の歴史は弘明寺というお寺の歴史と同じになります。律令制が津々浦々に広まりつつあった古墳時代から奈良、平安にかけて都から派遣された国司やその家族は都での生活を任地でも続けられるよう生活習慣や仏教への信仰を持ち込み、それがそこに住む人々へ広まり寺院の建立となったものと考えられます。弘明寺の山から大岡川と街を挟んで正面の山の山頂には三殿台遺跡があります。ここからは多くの土器とともに、縄文時代後期から弥生、古墳時代と三っの時代の集落跡が見つかり、現在それぞれの時代の竪穴式住居が復元されています。古代、東京湾から遠浅の入り江が弘明寺付近まで迫り、自然の恵みが豊富だったこの地域には歴史以前から人が住み着き、生活をしていたものと思われ、弘明寺から2キロほど離れた永田町東台遺跡や瀬戸ヶ谷の前方後円墳が当時の暮らしを想像させてくれます。 鎌倉時代については弘明寺の歴史に書きましたが、その後戦国時代、この地域を支配下に置いていた後北条氏(北条早雲が有名)が永禄10年、寺社の特権を犯されないように出した制令が弘明寺に現存します。当時弘明寺の門前は大岡川河口付近にあたり、湾内の舟運の便があり、上総・下総・武蔵・三浦半島への足場として栄え、市場が開設され、商品流通の地域的な中心地であった。この市場内での商売の保証やもめ事の仲裁を定めた貴重な文献です。
 
 岩田質店は昭和32年より当地で営業しております。昭和32年というとソビエト連邦が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、ペギー葉山の歌う「ケセラセラ」が流行語になり、前年に発行された経済白書に「もはや戦後ではない」という有名な言葉が掲載された時代です。その時代の弘明寺は今とは大きく変わっていました。
 弘明寺の街は古刹・弘明寺の門前町として古くから栄えていた事に加え、大岡川の清流を利用した捺染工業が盛んで、大岡川沿いには多くの捺染工場が建ち並び、横浜の地場産業を支える工業の町でもありました。これに加え、戦後横浜は、市の中心街・伊勢佐木町付近が米軍に接収され、その他の繁華街も空襲で焼け野原であったため、唯一空襲を逃れた弘明寺が歓楽街として栄えていました。弘明寺観音から街道にのびる商店街(当時の銀星会商店街)には映画館が3件もあり、その他、多くの飲み屋が店を開き、子供だった私は見ることがありませんでしたけど、夜の町もさぞ賑やかだったことと思います。

昭和20年代の弘明寺商店街  市民グラフ ヨコハマ No15
 捺染工場は、大岡川沿いの大井橋、鶴巻橋付近から井土ヶ谷にかけて多数ありました。小学校の社会科見学で行ったことがありましたが、大きな作業台と天井に吊された一反の布の長さ、そしてインクの臭いが印象的でした。大岡川沿いで捺染業が盛んだったのはその清らかな清流で染め上がった布をさらすためでした。しかし工業技術の変化とともに大岡川は布をさらす場所から染色された排水を流す場所になり、私が小学校の頃は毎日のように川の色が変わるドブ川になっていきました。横浜スカーフに代表される横浜の地場産業と詠われた捺染業は、この地で育ち、この地の自然を壊しながら発達し、そして自らの首を絞めるように衰退していった産業です。
 また捺染工場以外にも石鹸工場や材木工場、それに多くの下請け工場が下町の軒沿いに並んでいました。大岡小学校の真向かいには第一パンの工場があり、多くの工員さんが働いていたので給料日などは商店街もいっぺんに賑やかになったとのことです。僕たちはその工場の裏にある防空壕でよく遊んだ経験があります。戦争の足跡は探せばまだ見つかる時代でした。

 映画館は、現在モスバーガーが入っている水谷ビルの場所に有楽座があり、その他現在のスーパー・ユニーがある場所とスーパー・エコーがある場所にもありました。有楽座は東宝の怪獣映画や青春映画を放映していて、夏休みに私も見に行った経験があります。その後日活ロマンポルノ専門になり、18歳の誕生日に見に行ったあとすぐに閉館にりました。少し離れた通町1丁目交差点近くには、春風座という映画館もあり、こちらは松竹専門で、その後ストリップ劇場になり、昭和50年代後半には無くなって行きました。

 弘明寺は当時市内を走っていた市電(路面電車)の終着駅で、つまりここより先は町がない、という意味で、実際、上大岡に向かうと畑が多くなり、その先は笹下、日野、栗木、と山と畑だけの田舎の風景が続いていました。
 現在の横浜国代付属中学校の校舎は、横浜国立大学の工学部が入っていて、多くの学生や教授、研究者達が弘明寺の喫茶店で議論を交わしていました。また、その隣には県立の商工高校があり、詰め入りの学生達も闊歩する学生街の一面も見せていました。小学校は現在創立100年を過ぎた横浜市立大岡小学校が、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの校舎を見せていました。私の兄が入った昭和35年頃は急激な人口の増加に追いつかず、一つの校舎を午前組と午後組にわかれて授業をしていたそうです。ちなみに私が通った昭和40〜46年の頃は40人学級の6クラス、全校生徒1500人でした。学区も井土ヶ谷から六ッ川まで広い範囲でしたので比べようもありませんが、その後その学区に二つの小学校が出来たこともあって、一時期、一学年一〜二クラスという状態が続いたそうですが、現在はまた増えているそうです。これはバブル崩壊以降、交通の便利さを求めて市街地内にに都市型のマンションが増えたことによります。

 さて、地域の歴史が知りたくてこのホームページをご覧になっていらっしゃる方も多いでしょうけど、ここは質店のホームページですので、質屋の話をします。
かつて弘明寺には志村さん、根本さん、吉田さん、野田さん、岡安さん、岩田と6軒もの質屋があり、近くには若林さん、吉田さん、茂手木さんと10軒近い質屋がどこも繁盛していました。ここまで弘明寺の移り変わりを読んでいただければわかるように、歓楽街・繁華街から工場の町、学生の街へ、そして静かな住宅街へと変わってきた中で、現在でも営業している質屋が二軒だけになってしまった理由も納得される事と思います。もちろん国民生活の向上や消費者金融の発達など社会の変化による要因もありますが、質屋に限らず銭湯や他の多くの個人商店がいわゆる下町らしさ、下町情緒を作り出し、それが見直されようとしていますが、実際の所、スーパーとコンビニとディスカウント店だけがある静かな静かな住宅地ばかりが各地に出来つつあるのはどうしてでしょうか。
市営地下鉄弘明寺駅発時刻表(平日)
あざみ野方面
5 27 38 51
6 02 14 19 26 32 36 45 49 54 58
7 02 07 11 15 20 24 28 33 37 41 46 50 54 59
8 03 07 12 16 20 25 29 33 38 42 46 51 55 59
9 04 11 18 27 34 42 50 58
10 06 14 22 30 38 46 54
11 02 10 18 26 34 42 50 58
12 06 14 22 30 38 46 54
13 02 10 18 26 34 42 50 58
14 06 14 22 30 38 46 54
15 02 10 18 26 34 42 50 57
16 03 10 16 22 28 34 40 46 52 58
17 04 10 16 22 28 34 40 46 52 58
18 04 10 16 22 28 34 40 46 52 58
19 04 10 16 22 28 34 40 46 52 58
20 04 10 16 22 30 38 46 54
21 02 10 18 26 36 46 58
22 10 22 34 48
23 03 18 31 47
24 02
湘南台方面
5 34 48
6 03 18 30 42 54
7 06 12 17 21 25 29 34 38 43 47 51 56
8 00 04 09 13 17 22 26 30 35 39 43 48 52 56
9 01 05 09 14 18 22 27 31 36 44 50 57
10 05 13 21 29 37 45 53
11 01 09 17 25 33 41 49 57
12 05 13 21 29 37 45 53
13 01 09 17 25 33 41 49 57
14 05 13 21 29 37 45 53
15 01 09 17 25 32 41 49 57
16 05 13 21 30 36 42 48 54
17 00 06 12 18 24 30 36 42 48 54
18 00 06 12 18 24 30 36 42 48 54
19 00 06 12 18 24 30 36 42 48 54
20 00 06 12 18 24 28 33 40 47 52 57
21 04 12 20 28 36 46 56
22 06 16 26 36 46 56
23 06 16 28 39 54
24 09 23
市営地下鉄弘明寺駅発時刻表(土日)
あざみ野方面
5 27 38 51
6 02 14 26 39 50
7 00 10 18 26 34 42 50 58
8 06 14 22 30 38 46 54
9 02 10 18 26 34 42 50 58
10 06 14 22 30 38 46 54
11 02 10 18 26 34 42 50 58
12 06 14 22 30 38 46 54
13 02 10 18 26 34 42 50 58
14 06 14 22 30 38 46 54
15 02 10 18 26 34 42 50 58
16 06 14 22 30 38 46 54
17 02 10 18 26 34 42 50 58
18 06 14 22 30 38 46 54
19 02 10 18 26 34 42 50 58
20 06 14 22 28 33 43 54
21 04 16 29 40 53
22 06 18 33 48
23 03 18 32 47
24
湘南台方面
5 34 48
6 03 18 30 42 54
7 06 17 29 41 49 57
8 05 13 21 29 37 45 53
9 01 09 17 25 33 41 49 57
10 05 13 21 29 37 45 53
11 01 66 17 25 33 41 49 57
12 05 13 21 29 37 45 53
13 01 09 17 25 33 41 49 57
14 05 13 21 29 37 45 53
15 01 09 17 25 33 41 49 57
16 05 13 21 29 37 45 53
17 01 09 17 25 33 41 49 57
18 05 13 21 29 37 45 53
19 01 09 17 25 33 41 49 57
20 05 13 21 29 39 49 59
21 09 19 29 38 44 49 59
22 09 20 32 43 54
23 08 23 39 54
24 09